4月。新年度。本当は年末年始に色々書き連ねたかったこともあったが、今は2019年から2020年に変わったとて、特に何も変わらず日々を駆け抜けている、とだけ記しておく。
慌ただしい日常から少し離れて見えた景色。
My Daily Life
桜が綺麗だ。
日常の中で目にすることは良くあるが、車で通り過ぎる程度。
マジマジと見ることも少ないけれど先日チャリンコで走っているときにふと見た桜。
何も言わずに、ただただ緩やかに。
少しだけ生活スタイルに変化が出そう。
慣れないことに未だ気持ちの折り合いが追いついていないと自覚はしているが、いつもそう。
一人で考えてやってきた。
面白いもので一人に慣れると仕事以外で感情を感じなくなる。
機械のように動き、事務的にやってくる朝に叩き起こされては人としての感情を持って仕事をする。
仕事を離れたらまた機械のように過ごし当たり前の夜に溶け込む。
誰とも話をせず、誰とも関わらず、ただただ充電をしてスケジュール通りに息を吸う。
生きるってこういうことか?ってたまに思うけど、息はしているから死んではいないんだろう。
うん、まだ死んじゃいない。
It’s fun…
今年32歳になる。
人生も第2章の真っ只中。
何が楽しくて、何が悲しくて、何に喜びを感じて、何に価値を見出すのか。
改めて自分を見つめ直す有意義な時間。
今、何か前を向いて動き出すときなんだと心底思う。
逆に何で今までその一歩が踏み出せなかったのか、疑問にも思う。
自分の生き方を否定はしないが、是正はしていくべきなんだろう。
少しずつインプットジャックに流れてくる音をエフェクターにかけてアウトプットする。
今までの音作りを一から練り直して、違う音を出すんだよ。
今使うエフェクターはこれまで使ってきた勢いと歪みのオーバードライブじゃない。
よりクリアで粒の揃った、例えばブートレッグみたいなドライブなんだ。
音像を捉えて、自分が地に足のついた日々を歩めるように。
アウトプットが変わらないうちは日常も変わらないはずだから。
これからの自分の生き方が息を吸うだけの日常ではないことを書き記しておく。
COVID-19
いつか第三次世界大戦は爆撃じゃなくウィルスだ、と聞いたことがあった。
今まさに誰かの言っていた通り、全世界で沢山の死人が出ている。
別に戦争なんかじゃない。そんなことは分かっているが、ここまでの事案は生まれて初めての経験。
今の自分に何ができるとか大それたことをいうつもりも更々ないが、ただ自粛する日々。
家でやれる仕事は自宅にて。不要不急の外出は控え、週に1回、必要なものを適量買い揃える。
テレビをつければ今日は感染者が何人、死者が何人と過熱報道は増すばかりだ。
僕自身は田舎町に住んでいるのでそこまで神経質になっている訳ではないが、もしも誰かに移してしまったら、と思うと無責任な行動には躊躇する。
どこかで人ごと、という感覚がなかったといえば嘘になるが、今後の動向には注意したい。
とにかく何の保証もない今、自分ができることはおとなしくしていることだけ。
結局は医療従事者の方、その他一線で今の状況をどうにかしようと必死になっている人に迷惑をかけない生き方しかできない。
Reason
人生この歳まで生きてくると変に理屈っぽくなって、何かにつけて理由をつけたくなる。
特に僕はそういう傾向が強い人間だと思う。
最近ある人にも言われたんだ。
「難しく考えすぎ、もっとシンプルに」って。
自分の中ではものすごくシンプルな話だと解釈していたが、どうやらそうではないらしい。
確かに振り返ってみたら多感な時期にギターに没頭していたあの頃。
何でギター弾いてるのかなんて考えたこともなかった。
「楽しいから」それだけ。
心の未熟さ故に人を傷つけることも多々あった。
でも「ムカつくから」それだけ。
すごくシンプルな生き方だったと思う。
最近の自分はどう?
何でギター弾いてるの?
何で仕事をするの?
「日常の中で様々な喧騒に揉まれる中で心もすさんで、それでも必死にお金を稼いで生きて、自分の価値を高めながら心を豊かにして・・・」
理由をつけたい。
今自分がやっていることを正しいと思いたいから。
この先には光があると信じたいから。
だから理由をつけては今の自分を正当化したいんだ。
「もっとシンプルに」そう言われた時に少しだけ肩の荷が降りた気がしたよ。
理由なんて後付けでいいんだなって。何も考えずに没頭すればいいんだなって。
その先の失敗にビビっては理由をつけて回避した気になってる。
何で生きてんだ?
「楽しいから」
この言葉を何年先も言えるようなシンプルな日常を。
複雑な日常は言われなくても終わってる。
知ってる。
もう少し肩の力を抜いて。また明日。